平清経塚(たいらのきよつねづか)

平清経塚(たいらのきよつねづか)

宇原神社参道の約50m南に、平清経塚と呼ばれる大型の石塔群があります。平清経は、平清盛の孫であり、源平の合戦に敗れて柳浦(現・大分県宇佐市)に入水したといわれています。そして、「京都郡誌」によれば、平清経の遺体は流されて苅田の浜に漂着し、この地において火葬されたと伝えられています。 もっとも、その構造や形式から、この石塔群は、鎌倉末〜南北朝時代にかけての作の物と室町時代前期〜戦国時代の作の物から成り、伝承にいう平清経とは直接の関わりはないと考えられています。なお、平清経塚は、周防灘に面する各所にあり、これらの地域にある平清経伝説は、巷間に流布したものが伝承として固定化していったものと推測されます。

http://www.town.kanda.lg.jp/kankou/rekishi05.html